慈悲喜捨の四無量心。
つまるところ性エネルギーはこの4つの心の醸成に使用したい。
その心を金剛不壊となるよう鍛えていく。
怒りはすべての善根を焼き尽くす。
それくらいにカルマを生み出す。
他に向けるものであっても自己に向けるものであっても心すべきであろう。
叱るべきときはよく落ち着き言葉と時と場を選ばねばいけない。
ただし、恐れてはいけない。
活かし切っていくことが生きるということだ。
それはよく言われることであるが、実際己と向き合う楽しみはこれ最高である。
日々己のカルマと向き合うことになる。
理不尽と感じた時こそカルマが解消されるチャンスなのだ。
この感覚に仏法をあわせるときひとつ次元を超えた幸せを得る。
まずはひとつふたつを極めていくという感じであろうか。
私は10年以上の不飲酒戒、読経修行と掃除でこの境地を得た。
他の道もあろう。
ともあれ、私もまだまだ途上である。
今日一日をよく祈って生きる。
これを目指す場合、自灯明法灯明のうちに密教的に人格ある師との絆を意識できたほうがうまくいくかもしれない。
私は原始仏教的なややもすれば殺伐とした行き方を試したこともあるが、大乗仏教的な救済を中心とする温かい行き方にまたシンパシーを感じつつある。
冷たくされたら温かさで返す。
要するにこれを継続していくことなのだ。
継続しやすい行き方がよい。
この世の大衆の大半の苦しみが怨憎会苦(会いたくない人に会う)であろうけれども、これを乗り越えるということである。
かつて私もおののいた。
しかし、日々の(簡単な)修練によってですら、心底にまったく揺るぐことのない何かがあるようになって以来、仏道の片りんを確かに感じ得るようになってきた。
四無量心。
その通りであろう。
本当によくできた整理である。