最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

法と瞑想と性エネルギー

怒りはすべてを台無しにする可能性を秘めている。

これからの荒れた時代、怒りを制御することはとても大切なことになると思う。

怒りは登山で言えば滑落だ。

 

瞑想と性エネルギー昇華。

このところさらに初心へ回帰している。

法。不動心。

それを貫徹するためには、やはり根性論だろう。

今一度根性論を打ち立てたい。

この根性論だけが自我を助長しない。

 

しっかりと法を保つ意志を堅持しそれにより生きる。

本能的な利己心を瞑想で乗り越えていく。

 

性エネルギーを昇華するなかにあって、カルマを解消していく。

さまざまな苦難がある。

しかし、苦難をひとつひとつむしろ味わいカルマが解消されていくことに感謝していく道もあるのだ。

そして、多数作善である。

多くのよいことを為す。

この連続に尽きる。これ以上はない。

 

考えることはある。

しかし、考え過ぎることは妄想である。

適切に学び考え実践していく。

 

性エネルギーの上昇により呼吸が楽になる。

思考もクリアになる。

瞑想を深めていったことは成功だった。

あとは生涯貫いていく。

 

どうにもならぬ状況でもがく姿をこのブログで書き綴ることもあったが、そういう状況こそが魂をなんとかさせようとする源だ。

死ぬほど苦しいが、その苦しみこそが魂を磨く。

生きようという一片の小さな欠片でもあるかぎり無智のままということはない。

 

会う人会う人に善をもって接する。

よき想念を維持する。

読経をする。

戒を守る。

よく掃除片付けをする。

よく運動する。

よく勉強をする。

よく仕事をする。

 

気付けば要するにただそういうことである。

偏見に苦しむのだ。

曇らせているのはエゴである。