最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

最後のチャンスに突入している

自主独立の気概を持つことが大切だ。

そうすることでしか命は立たない。

中国共産党という外圧を転じて福となしていくには自主独立の気概による以外にない。

アメリカとは同盟関係にあるにしても、その関係は今後変容していくはずである。

自分の郷土を自分で守るという基礎的な部分を脆弱なままにしておいてはいけない。

戦後日本の最大の失敗はその点にあったと私は断言したい。

 

日本は運がいい。

今回はアメリカが主導することで事の解決が図られようとしている。

しかし、次はない。

これはもう絶対にない。

最後のモラトリアムだと思って核配備も含めた自衛組織を強化していく必要があるだろう。

そして内需の強化だ。

食料自給率の向上の実践と基礎研究の充実は急務である。

反グローバルという流れを転じて福となしていくことだ。

 

そして個人の行き方である。

以上のような国家の役割の問題と個人の行き方は分けるべきだろう。

この視点がないと人格は崩壊するに違いない。

魂の錬磨のためには平和を希求するべきである。

それが理想であると言われようとも。

国家の役割の議論に政治参加するときの言論はそれはそれとしておくべきである。

整理に知力が追いつかない者はぐっと堪えておくのも一手である。

心にひとつファイルを作っておかねばいけない。

この部分の悩ましさはそもそも人間界特有である。

衆生の善悪が定まらぬ故である。

 

凄まじい猛暑である。

そしてじきに台風が次々に来るようになる。

極めて外在的な不安定要因を抱えたまま前進していかねばいけない。

武漢コロナもあいまって敏感な人ほど囚われて自粛してしまう。

この時期にいつもと同じ様に遊びにいける者はある意味強者であろう。

猛暑+武漢コロナという状況である。

それでも遊べるのである。

言い過ぎかもしれないが、むしろ彼らの方が瞑想状態に近いといえるのではないだろうか。

 

人事は尽くすべきだろう。

しかし、最後は運である。

運を味方につける生き方はよく語られている。

そのように生きることができるかどうかだ。

思っていても動けないならばそれはできないということである。

かなり厚い壁である。