沖縄や北海道と国の関係は、破たんした親子の関係と似ている。
たとえば、あの例の事務次官とその息子の関係と同じだ。
息子はおそらく親を心底求めていたのだ。
それはお金で買えるものではない。
しかし、親はお金で妥協し無神経な言葉で息子の自立を殺し続けたのだ。
沖縄や北海道と国との間で起こる紛争においては、独自路線を選ぼうとする沖縄や北海道はリベラルな立場で憲法の活用を主張するが、それに対し国は金を出すことで妥結し国家主義的な見地からそれを排斥しているかのようにみえる。
皮肉なことであるが、沖縄や北海道ほど日本国憲法に頼ろうとした地域はないのだ。
しかし、その願いは基本的に尽く裏切られて負担を強いられているのである。
沖縄や北海道が国を去るか、国が沖縄や北海道を打ちのめすか、どちらであろうか。
沖縄や北海道が本心を明かせないほどに追い詰めらたとしたら、どうなるか分からない。
特に沖縄は危うい。
ぐれてしまった娘のように私には映る。
ちなみに、一票の格差の是正を声高に叫んでいるのは本土の都市部の人間である。
都会人の1票と地方人の1票が国政与える影響力に差があってはいけないという主張なのだ。
ここにきて人格の形式的な平等を言い出す。
そして、地域の格差の問題は、国会議員がそれぞれの立場で全国民の代表として討議すべき事項というのが彼らの基本的な考え方なのである。
しかし、実際にそんな器用なことができる国会議員はいるのか?と思うのだ。
考えるに、私はこの問題は政治主張であると思っている。
もし都市よりも地方にリベラル層が多ければ、絶対に一票の格差の問題は提起されてもいないだろうと断言できるほどに、これは政治性のある平等の主張だと考えている。
一言でいえば、反安倍の主張なのだ。(今では正しいが。)
さて、複雑である。
本土のリベラル層の主張を沖縄や北海道の人はどう受け止めたらよいのだろうか。
私にはあの息子の気持ちと重なるものを感じる。
信じたくても信じられない。行き場を失った気分になる。